児童養護施設 櫻ヶ丘学園のこと
2012年5月18日 09:00
今から60年前(1952年)北海道・銀山に社会福祉法人「児童養護施設 櫻ヶ丘学園」が設立されました。母親34歳の時です。当時は戦後の混乱期がまだ終わっていない頃で、全国には戦争孤児が大勢あふれていたそうです。私の両親はそういった子供達をみるにつけ「何とかできないだろうか」と思い悩んだそうです。母親がエリザベス・サンダースホームを設立した沢田美喜さんに影響を受け「児童養護施設を開こう」と思い立ち、苦労を重ねながらも実現にこぎつけたと聞いています。
エリザベス・サンダースホームの沢田美喜さんは三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘だったそうです。そんな彼女に憧れた私の母親は、財産も何もないただの主婦だったのですから無謀というほかありません。ただ信念のみに突き動かされていただけのようですから、学園を作るまでの苦労は並大抵ではなかっただろう思われます。
現在の施設棟は新しく建て替えられており、コンクリートで出来た立派な建物です。私の子供のころは全て木造の建物でした。
学園の裏側にはたくさんのさくらんぼの木があり、7月の末には赤い実をつけます。
現在は「櫻ヶ丘学園」の園長も変わり、実質的なつながりはなくなりましたが、創設時の精神は続いていると聞いています。
この細い樹は孫の誕生にあわせて植樹をした「ハナミズキ」で、新芽が出ていました。右下の赤い屋根は実家です。
ここからの景色を眺めては「なんて美しい村なんだろう」と訪れるたびに感動しています。
銀山は四方山に囲まれているので、村の景色はどの方角からでも山が背景なのです。
郷愁もあいまってか、大人になり都会で暮らすようになってから村の美しさに気づきました。「残念!もう少し早くから気がついていれば、もっと楽しめたのに・・・」と思うばかりです。
この小さな家は「銀山駅の物置小屋」でした。「解体するのは惜しい」と父が払い受け我が家の庭に移築したものです。
赤い屋根の向こう側の木は「さくらんぼ」です。
父がまだ元気だった頃、私の子供達が屋根に登って「さくらんぼ」を食べているのを見て、「あの子達がさくらんぼを取れるようにと、木に添わせてこの家を移築したんだよ」と満足そうに教えてくれました。「1年に1度、あるか無しかの機会なのに・・・」とその優しさに胸が熱くなったものです。
私を育ててくれた父は美しいものが好きで、とても文化的な人でした。
晩年になってからも好奇心は衰えず、自由で柔らかな発想を持ち続けていました。
今でも銀山を訪れると、いろんなところに父が生き続けているのを感じています。






