2012年2月28日 09:00
昨年の秋のことです。
ある日突然、南青山にある「ガラスのビルで有名なプラダ」の前に、こんな集団が現れました。
エントランスの前に沢山の人々が・・・しかも雨でもないのに傘をさしています。
いつもはこんなガランとしたところなのです。
気づいている人は少ないと思いますが、この広場は「日本庭園」をモデルにデザインしてあります。黒の御影石はベンチになり、築山(つきやま)には苔が植えてあります。
ガラスのビルにばかり目がいってしまって、この前庭にはなかなか気づかないのではないでしょうか。
広場にいる女性達の背が高いので、最初は外国人のモデルが「衛兵の帽子」をかぶって「パフォーマンスでもしているのかしら」と思っていました。あんな不安定な台に上がって「危ないねぇ~」と思いながら廻りこんでみてビックリ。
全員が人形だったのです。服飾業界ではマネキンと呼ぶのでしょうか。
マネキンが着ている服と、持っているバックはプラダの商品です。プラダの商品は高級品なので「突然雨が降ってきたら、どうするのだろう」などとくだらないことを考えながら、圧倒されてしまいました。
このガラスのビルは南青山にあるプラダの旗艦店「エピセンター・ストア」です。
エピセンターとは直訳すると「震源地」という意味だそうです。
プラダの「エピセンター・ストア」はニューヨーク、ビバリーヒルズ、東京(南青山)の世界3ヶ所にあります。単なる商品を売る店というだけではなく、建物全体と商品が一体となり、プラダ独特の空間芸術の世界を演出しているのだそうです。
プラダは1913年に設立された、イタリアを代表する高級ファッションブランドです。現在のデザイナーは創始者の孫娘にあたるミウッチャ・プラダという人です。
この女性がすごい人で、世界中で大ヒットした「プラダのナイロン製の黒いバック」を開発した人です。逆三角形のロゴプレートを付けたこのバックは、傾きかけたプラダの経営を立て直したそうです。日本でも大流行したので女性なら誰でも知っているバックです。
若者に人気の「ミュウミュウ」も彼女が作ったセカンドブランドだそうです。才能に恵まれた女性後継者は「ファッションは人生の素敵な一部分だけど、支配されちゃだめ!」と言うのが持論だそうです。そんな考えが自由な発想の元になり、素晴らしいヒット商品を生んでいるのではないでしょうか。
2012年2月24日 09:00
まだまだ寒い日が続いていて、春が待ち遠しいです。
そんな時だからこそ、明るい日差しに映える黄色い花を見ていただきたいのです。
先日沖縄に行った際に、ガジュマルの足元に咲いている黄色い花をみつけました。
南国の花らしくぽってりと愛らしくも、堂々と咲いていました。
花の名前はアリアケカズラ(有明葛)と言います。原産国は熱帯アメリカで沖縄本島では道路の植栽としてよく植えられているそうです。2月でも花が咲いているのですから、さすが沖縄だなと思いました。
我が家のベランダで毎年咲いてくれる黄色のキンレンカです。
キンレンカを初めて花屋さんで見たのは、青山に引っ越してきてからです。「オシャレな花だなぁー」というのが第一印象です。決して自己主張をせず、さりげなく咲く花という風情が好きです。キンレンカの花はオレンジ色から黄色まで数種類の色があります。食用としても知られていて、花や葉がサラダとして食べられているそうです。キンレンカは南米原産の一年草です。我が家ではラッキーなことに、毎年種が落ちて春になると新しい芽が出てきてくれます。
春から夏にかけて咲いている黄色いバラです。
小さな黄色いバラは緑の葉っぱがあればこその美しさです。
ベランダにこの黄色いバラが咲き始めると、春が来たようで嬉しくなります。バラはゴージャスな花なのでベランダガーデンでは主役になってくれます。またバラの蕾はとても愛らしいので、一輪挿しに入れて食卓などで楽しめます。黄色い花はすがすがしくて爽やかなので、テーブルフラワーにピッタリです。
タンポポは黄色い花の代表格です。
春になると野原いっぱいにタンポポが咲きだします。まだまだ寒いですが、黄色いタンポポがいっぱい咲いている野原を想像するだけで、一気に春が目の前に広がります。
今日はひと足早い春を感じたいので、仕事帰りに「花屋さんで黄色い花を買って帰ろう」と思いました。
2012年2月17日 09:00
我が家には食器戸棚というものがありません。
ほとんどの食器はキッチンの両開きの吊り戸棚(W90センチ)に納まるだけにして、数は増やさないようにしています。お客様用の食器と日常使いの食器を分けることはしていません。ということは「高級な食器は持っていない」ということです。
この大皿は35年前に、笠間で焼き物を作っている従兄弟に作ってもらいました。彼の若い頃の作品なので、勢いが感じられます。
存在感のある大きなお皿が欲しかったので、この大皿(直径40センチ)を2枚注文して焼いてもらいました。私も若い頃は友人を家に招くのが好きで、よくホームパーティーをしていました。
そんな時に、この大皿が大活躍してくれました。器そのものに存在感があるので、テーブルの上にドカンと置きカラフルな食材を乗せるだけで、すごいお料理を作ったような華やかさがありました。またこの土の色合いが緑色の食材を生き生きさせるので、切っただけの生野菜を並べるだけでも素敵なのです。
左側の平皿は18センチほどのもので、私のお気に入りです。
布目をつけて焼いたもので、素朴な色合いといい大好きなお皿です。ぽってりとした厚みがあるのですが柔らかな風合いです。磁器の食器では表現できない素朴さがあります。
右側にある茶色の器は、日常に使い続けて30年ほどになります。使用頻度が激しいので、器の縁がたくさん欠けているのですが、まったく気になりません。
この四角い大皿は息子さんの作品です。グレーのグラデーションと模様に、作者の意気込みが感じられる器です。
長さが60センチもあり、紙を折り曲げたような形で、高いところが4センチ低いところで2センチの、緩やかな傾斜がついたお皿です。
このお皿をいただいた時には「鑑賞用なのかしら・・・」とか「どんな食材をのせたらいいのだろう」と戸惑ったものです。使い方で気に入っているのは、しその葉を広げて「手巻き寿司用のお刺身」をたくさんのせるとかなり綺麗です。「そっかぁーこのためのお皿なんだね」と思えるほどです。
笠間焼は茨城県笠間市が産地で、江戸中期のころから作られているそうです。笠間粘土は粘りが強く粒子が細かいので、丈夫な器として知られています。「そうそう、そうなのです」毎日使い続けて30年も経つのに、いまだに現役の器をもつ私が証明します。
2012年2月14日 09:00
私はジュースのなかでも「ネクター」と言う飲み物にこころ惹かれます。
とくに数年前まではキヨスクなどでよく見かけたピーチネクター(・・・だったと思う)
が好きでときどき飲んでいました。ところがあまり売れなかったのか、いつの間にか店頭に見かけなくなり寂しい思いをしていました。
表参道のOMOでメードイン・ハワイの「グワバ・ネクター」を見つけました。
「あら・・ネクターだなんて嬉しい」とさっそく買ってきて、しっかり冷やしてゴクリ。
ネクターならではの、ほんのり甘くて口のなかのやさしい感触にとても満足しました。
ちなみにネクターの語源はネクタルといい「ギリシャ神話で神々の飲み物」と言うのだそうです。ギリシャ神話では「飲む者は不老不死になる」とあったので、その意味とは全く関係ないのにネクターがますます好きになりました。
たくさんの商品の中からこのパッケージに目が止まったのには訳があります。
ネクターを探していたのではなく「なんとなく目が止まったら、ネクターだった」ということなので、このパッケージに理由があるのです。店のジュース棚にはさまざまな商品が並べられていて「あの綺麗な缶は何だろう」と思ったのがきっかけでした。
おなじくOMOで見つけたイギリスのキャンディー「ジンジャー・チュウ」です。
このパッケージも気に入りました。
王様風の生姜がジンジャー・チュウを食べている絵です。パッケージ全体がくすんだグリーンで小さな箱なのですが、存在感バッチリでとても目立っていました。
中身のキャンディーのラッピングもオシャレです。
キャンディーは柔らかいキャラメルと言う感じ。生姜の味がしっかり利いていてピリッと辛いのが特徴です。若い女の子に人気だと聞きました。
パッケージデザインはその商品特性やコンセプトをデザインすることです。パッケージは買った人に、内容物よりも先に商品特性を伝えなければいけない情報です。私はただ「デザインに心惹かれた」というだけなのですが、その視点でみるとこれらの商品は私にとって有効だったことになります。パッケージを見て「きれいだなぁー、ステキ!」と思うのですから、パッケージデザインは私たちの生活に楽しみを与えてくるものでもあります。
私たちのリフォームの仕事も、お客様のお住まいを「美しくて、ステキ!」にデザインする点では同じことなのではないかと思いました。
2012年2月10日 09:00
今朝から東京には雨が降っていました。
ここのところ雨が降らないため、乾燥した日が続いていましたからちょうど良い「お湿り」です。地下鉄稲荷町駅から会社までの通勤途中、道路際に雨に濡れた自転車がたくさん止めてあります。
どなたの自転車か分かりませんが、サドルがすっかり濡れています。
雨の降る中、自転車が濡れているのをみると「むかしむかしのある出来事」がフラッシュバックのように思い出されます。
私の大切で忘れられない思い出です。
今から25年ほど前のことですが、通勤で使っていた地下鉄の駅が、子供が通っていた中学校の校門近くにありました。私の自宅から地下鉄まで徒歩で20分ほどかかっていたので自転車で通っていました。ほぼ毎日猛スピードで坂を下り、校門近くの歩道に自転車を止めて通勤していました。
ある日残業で夜遅くなり、最寄り駅の地下鉄の階段を登り、地上に出てみると雨が降っていました。「あぁー雨か・・・どうしよう」と思いながらふと自分の自転車を見ると、サドルの上に真新しいタオルがきっちりと巻きつけてあります。「あらっ、これは私の自転車だよね・・・」と思いながらそのタオルをはずしてみてビックリ。
先日、彼がお小遣いをためてやっと買った「アディダスのスポーツタオル」だったのです。
私の自転車のサドルが濡れているのを見て「濡れたらかわいそう」と思ったのだと思います。「あんなに大切にしていたタオルを使ってくれたんだ・・・」と思い、胸に迫るものがありました。このできごとは今でも私にとって、ありがたくて尊い宝物のような思い出になっています。
2012年2月 7日 09:00
横浜伊勢崎町にある喫茶店「ル・カフェ」でお茶をしてきました。ここはカステラで有名な文明堂の店です。インテリアはクラシック調で、歴史のある街横浜にぴったりです。
店内は天井が高く、正面には壁面いっぱいのステンドグラスが張ってあるのでまるで外国のお店のようです。クラシックなデザインの家具類はオークで揃えてあります。
店内の突き当たりの壁に、みなと横浜をイメージさせる大きなステンドグラスがはめ込まれています。
初めて「ル・カフェ」でお茶をしたのは、今から27年前のことです。
そのころ、外国に一度も行ったことのない私は西洋の雰囲気に触れて「ヨーロッパのクラシックってこんな感じなのかしら・・・」とワクワクしたものです。
今でも伊勢崎町や関内には、古き良き時代の雰囲気が残る店が、まだまだたくさん残っています。
私は東京ガスリモデリング(株)に入社後、横浜の関内にある「リヴィングモア横浜店」に配属されました。横浜勤務は10年くらいのことでしたが、すばらしい環境で仕事をさせていただいたものだと感謝しています。
北海道生まれの私は、まるで外国のような横浜の街にすっかり魅せられていました。
とくに関内から馬車道を通って海まで行く道のりは、ヨーロッパの古い街並みそっくりなのです。写真や映画でしか見たことがなかった外国への想いがつのって、通りを歩くたびに「ワォー」とため息ばかりついていました。
バルコニー風に張り出した、中2階の席です。オークの手すりとレトロな照明器具がピッタリなのです。
テレビコマーシャルの仔グマのダンスでおなじみの文明堂は、明治33年に長崎で開業し現在に至っています。
カステラは誰もが知っているお菓子ですが、起源は古く紀元前3世紀ころスペインで作られていたビスコチョというお菓子が原型といわれています。日本には400年以上前にキリスト教などとともに長崎に伝わってきたそうです。当時の日本では、カステラは庶民が食べられるものではなく、長崎の代官が南蛮料理とともに豊臣秀吉に献上したとの記録があるそうです。
文明堂なのにカステラではなく「あんみつ」を注文してしまった私です。右にあるのは番茶です。
関内に勤めている頃、仕事でなにか困ったことが起きるとよくこの店に来たものです。
当時の店長や同僚に「聞いてください!」などと訴えていたことを思い出します。
未熟だった自分を思い出しながら、甘い「あんみつ」をいただいてきました。
2012年2月 3日 09:00
「木造で作られた仮設住宅を見つけました!」
2011年12月号の「新建築住宅特集」にこんな仮設住宅が掲載されていました。
一般的に仮設住宅といえばプレハブ製の長屋をイメージしますが、ここは全く違っていました。
仮設住宅なのに、昔からそこにある集落のようなのどかな風景です。
出展:新建築住宅特集12月号より
陸前高田市住田町の仮設住宅です。この建設を請け負ったのは、岩手県気仙郡住田町にある住田住宅産業です。住田住宅産業は地元の気仙スギや気仙大工のPRのため1982年に第3セクターとして設立された会社です。
昨年の1月ころ、全国の被災地に対応するため「応急仮設住宅を木造でつくれないか」との検討に入っていたそうです。まるで今回の震災を予想していたかのようです。
よもや地元民のために役立つことになるとは・・・考えてもいなかったのです。
各住居の視線が交錯しないよう角度を振って配置してあります。庭を介して住民同士の交流が期待されます。
出展:新建築住宅特集12月号より
住田住宅産業では震災後の3月22日には1棟目を建設し、その後5月末までに110戸の仮設住宅を建設したそうです。
東北の震災で国は緊急に対応すべく、例外として仮設住宅の建設を地元企業に発注したそうです。岩手県、宮城県、福島県とも地元企業によって仮設住宅が建てられたのですが、それらの多くが木造だったというのが印象的でした。
木造パネルの検討段階から、仮設住宅の役割が終わったら移築も可能だし「パネルがボロボロになったらペレット燃料(暖炉などの燃料)として使える」という、終わり方まで検討していたそうです。まさに地産地消のモデルがここにありました。
福島県に建てられた40㎡のログハウスの仮設住宅は、福島ログハウス共同体の施工です。
「木の香りがいっぱいでしょうね!」
出展:新建築住宅特集号より
今回の震災では行政も地元企業も協力して、住宅の建設にあたっていたことを知り、「やれば出来るのだ!」と嬉しい気持ちになりました。
「目的を一つにし」力を合わせたからこそ、このような仮設住宅を作ることが出来たのだと思います。